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  時間と空間

もっとも普遍的な概念のひとつであり、僕たちの感覚や認識の根源でもある、「時間」と「空間」について日頃から感じたり、考えたりしていることを少し話してみたい。


「時間」と「空間」は日常的には「対の概念」として知覚されたり語られたりするが、アインシュタインの相対性原理に代表される物理学や宇宙論では「時空間」という「統一された概念」として使われることもある。


 



アマチュアでも非常に優れた写真を撮影する人は大勢いるが、プロの優れた写真家はアマチュアの優れた写真家とは決定的に違う何かを、迫力があると言うか、清冽と言うか、捉えた写真を見せてくれる。
アマチュアの写真家が「空間」を瞬間的に切り取って写真を撮影するのに対して、プロの写真家は「空間」に折りたたまれた「時間」を切り取って写真を撮影するのではないだろうか?
プロの写真家の写真に折りたたまれた「時間」の痕跡が、決定的に違う何かなのではないだろうか?


ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアなど、広大な太平洋の小さな島々に住む人々は、遥かな昔に、フィリピンやインドネシアなどの東南アジアから移住してきたと言われている・・ハワイの原住民の言葉がインドネシア語などと多くの類似点を持っていることも、重要な根拠とされている。


エンジンもスクリューも無い木製のカヌーに乗り、羅針盤も持たないで、どうやって太平洋の荒波を乗り越えてインドネシアからハワイまで航海したのだろうか・・もちろん、インドネシアからハワイまで一挙に航海したのではなく、長い時間をかけて島伝いに進んでいったのだろうけど…


船や羅針盤などの物理的な装備もさることながら、確かな地図も人工衛星写真も無い時代に、水平線の遥かな彼方に到達することができる島があるだろうと、どのようにして確信をもてたのかが遥かに大きな謎である・・魚を取ることには長けていただろうから、かなりの長い航海期間中に、動物性たんぱく質は何とか補充できたかもしれないけど、人間の生存に必須な真水や野菜は、もし幾ら航海しても行き着く島が無ければ尽き果ててしまい、皆死んでしまうかもしれないという恐怖をどのようにして克服できたのだろう?


水平線の果ての見えない島々を目指して航海した人々は空間ではなく時間を旅したのではないだろうか、というのが僕の仮説である・・何日間か、何週間か、何ヶ月間か航海すれば必ず何処かに到達するであろうと言う、時間に対する確信のようなものが何も無い水平線に向かって果敢に漕ぎ出す彼らを鼓舞したのではないだろうか?


かなり以前にバグダッド全体を美化するという仕事をしていた頃、毎朝のようにバグダッド市内の各地に出かけたのだけど、事務所の傍の家の入り口に朝からじっと佇んでいる老人が居て、夕方頃に事務所に帰ってくるときにも同じようにじっとしているのを良く見かけた。


それが度々のことだったので、ある日とうとう堪りかねてイラク人の同僚に「彼は何を見てるの?」と尋ねたら、イラク人の同僚は平然と「別に…」と応えただけであった、むしろ「何を尋ねているのだろう?」といった怪訝な表情でさえあった。


その瞬間僕は「ああ、この人は空間ではなく時間を眺めているから、何時間でも飽きないのだな…」と、直観的に悟った・・正しいかどうかは分からないけど。


添付の写真は、国立民族学博物館の「お宝」のひとつと言われる、「ポリネシアの海図」である。
博物館の解説によると: ココヤシの葉柄と貝殻でできている。貝殻は島々の位置関係を示し、ココヤシの葉柄は海のうねりの方向を示している。この海図は教育用につくられたもので、実際の航海には持参されなかった。



(2007/12/4)
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