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  言葉の不思議

日本生まれの僕にとって日本語は母国語だし、これまでの人生の少なくない時間を英語で仕事をしながら過してきたので英語には殆ど不自由しないし、インドネシアでも長く仕事をしたのでインドネシア語を使って仕事をしたり生活をしたりするのにも不自由を感じることは余り無く、ここ数年はヨルダンやエジプトで博物館のプロジェクトに没頭しているのでアラビア語も少しずつ上達してきている。

 

ということで、僕は「3.2ヶ国語」程度を比較的自在に操ることが出来るのだけど、それぞれの言語は、いわゆる「語族」が全く異なっている・・日本語は「ウラル・アルタイ語族」、英語は「インド・ヨーロッパ語族」、インドネシア語は「オーストロ・マレーシア語族」、アラビア語は「セム語族」といった具合である。
「語族」の規定の仕方には信憑性がおけないという有力な説もあり、僕も一度、そのことを実際に体験したことがある。

 

 

パキスタンで仕事をしていた時にウルドゥー語を猛勉強したのだけど、驚いたことに、ウルドゥー語の文法は日本語の文法と殆ど同じだった。
言語の教科書によると、ウルドゥー語は「インド・ヨーロッパ語族」に属しているというのにである。


それまでは「文法」の違いに従って「語族」を規定しているのだと思い込んでいたのだけど、訳が分からなくなってしまった。例えば、英語では「私は・行く・へ・学校」と言うのに対して、日本語では「私は・学校・へ・行く」と言うが、ウルドゥー語でも全く同じ語順と用語を用いる。


それに関連して言うと、インドネシア語と英語の「文法」は90%以上が同じである。インドネシア語には日本語のように「冠詞」が無いとか、形容詞をフランス語のように名詞の後に付けるとかといった、細かな違いは幾つもあるけど…


「セム語族」に属しているアラビア語の文法は英語の文法と似通っている部分が多いが、「セム語族」というか、アラビア語独特の文法があって、最初は面食らってしまう。
その代表的なものは、過去形の表現をする時に、動詞の後ろに主語の一部をくっつけてしまうことである・・例えば、「you went」(あなたは行った)を「go-u」というように表現する。
「you go」(あなたは行く)は「you go」と言ったり、「y-go」と言うので、まだ理解しやすいのだけど。


日本語、英語、インドネシア語、アラビア語、ウルドゥー語という、たった五つの言語を取り上げただけでも、これだけの相違や類似があるのだから、数え切れないような世界中の言語を調べてみたら、とんでもないことになるかも知れない。
カラハリ砂漠に住むブッシュマンは息を吸いながら発音することもあるらしいので、「とんでもない」を遥かに通り過ぎてしまうかも知れない。


であるのに、人間が考えたり、想像したり、欲したりすることを、無数ともいえる言語がそれぞれにきちんと表現することができると言うのは、僕にとっては「言葉の不思議」とでも呼ぶしかないような、驚異の世界である。


目が二つあって、手足がそれぞれ二本ずつあって、というように体つきは全く同じで、部分の色や形や長さが少し違うだけの人類が、何故どのようにしてこのような言語を、それぞれに違う表現方法や構成方法で完成することが出来たのだろう?
それぞれに進化してきた自然環境や社会状況の違いだけでは到底説明しきれない気がするけど…


添付した写真は「アニのパピルス」に書いてある「筆記体の象形文字(ヒエログリフ)」である。
5000年前の象形文字で表された古代エジプト語の文法が、現代アラビア語の文法と非常に似通っていることは、大きな驚きだった。
「コーラン」が書かれた紀元7世紀中頃から1300年以上も経過したというのに、アラビア語の基本が全く変化していない事実にも驚かされるけど。


(2007/4/13)
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