[ 前へ ]
[ 次へ ]
  心の不思議

僕は大学院の学生の頃に、24歳だったけど、建築設計事務所を設立し、その後、海外プロジェクト専門のコンサルタント会社、ニューヨークのTVプロダクション、広告プロダクション、と次々にその時その時にやってみたい会社を設立し、仲間に引渡してきた。
そして、現在の「夢ばっかり追いかけるだけで一向に儲からない会社」を設立・持続するに至っている。

つまり、僕は就職というものを一切したことが無く、まるでイソップの寓話「アリとキリギリス」のキリギリスのように、誰からも命令されること無く好きなように生きてきたので、自分自身では、頭も比較的柔らかく、発想も豊かなほうで、包容力を持って他の人々を受け入れることができると思っているのだけど…実際は・・

 

 

人の幸せがうらやましく、人の成功がねたましくて、ひどい時には自暴自棄になりそうになったりする。


他人を嫉妬しても何の得にもならないし、嫉妬している自分が不愉快になるだけであることは分かりきっている。
あえて言えば、他人を嫉妬することによって、自分自身の中に競争心が芽生え、他人に追い付き、さらには追い越そうとする克己心が発動されることが、或いはその可能性があることが、嫉妬することの唯一のメリットだろう。


他者に嫉妬の感情を抱くのは人間だけなのだろうか?
植物やアメーバが嫉妬心を抱いているとは想像しがたいが、哺乳類、特に人間に似た類人猿など、は嫉妬心を抱かないのだろうか?
サルはバナナなどを巡って売春行為をするらしいから、嫉妬を感じるであろうということは十分に予想できる。
このあたりのことは、デズモンド・モリスの本をもう一度注意深く読み直してみる必要があるかもしれない。
嫉妬を感じるためには、他者と自己とを明確に峻別することができなければならない…爬虫類や両棲類が嫉妬を感じるかどうかについては、そのあたりで不確かになってしまう。


嫉妬の問題は、他者と自分という個体単位にとどまらず、個体内部にも存在している。
大火傷をした時などに良く行う治療法の一つに「皮膚移植」があるが、例えば、太腿の皮膚の一部を顔に移植をしようとすると、顔の皮膚が太腿の皮膚に拒絶反応を示すことが多い…他人の皮膚や臓器の移植については言わずもがなである。
これも広義の嫉妬の一つではないかと考えたりする。


もっと範囲を広げると、古代から現代まで連綿と繰り返されてきた民族間や宗教間の争いも嫉妬の一つの形態ではないかと考えている。


今日の世界で最も激しい戦いを繰り広げている、アラブとイスラエルの問題も、現実にヨルダンやエジプトで長く仕事をしながら両者の間の争いを観察していると、「旧約聖書」と「コーラン」の論理的な違いにではなく、ましてやユダヤ人もアラブ人も同じセム民族であるし、アラビヤ語とユダヤ語は良く似ているし、イスラエルが半世紀前にアラブ人、厳密にはパレスチナ人、の土地に突然乗り込んできて国家を樹立し、その国家がアラブの国家が及ばないほどのスピードで発展していることへの嫉妬心も非常に重要な梃になっていると思われてくる。


僕たちの銀河系や他の星雲、例えば隣のアンドロメダ星雲(12億年後には両者は合体あるいは衝突するらしいが)、に生息しているであろう知的生命体で嫉妬しない生命体が果たしているのだろうか、ということなどを時々夢想したりする。
知性は嫉妬心が無いと生まれてこないなのだろうか…知性も嫉妬心も他者と自己との間に隔たりを置くことで共通しているし・・


添付した画像は「楽園から追放されるアダムとイブ」であるが、イブが蛇に勧められて食べたとされる「善悪の知識の実」も「嫉妬の実」だったのかもしれない。
ギリシャ神話の「パンドラの箱」から最後に出てくるのも「嫉妬の悪魔」だった。


(2007/3/17)
[ 前へ ]
[ 次へ ]

トップページへ