「eやπやi」の存在に負けず劣らず、自然界の出来事で最も不思議なことのひとつは「生物の擬態」である。
体の色や形や模様を周囲の環境(地面、植物、動物等)と見分けがつきにくくすることによって、捕食者から逃れたり、逆に餌を捕まえたりするのを容易にすることを「擬態」というが、他の動植物にそっくりな動きをしたり、匂いまでも似せてしまうことも「擬態」に含まれている・・カメレオンのように体の色を一時的に変化をさせる動的な「擬態」と、カマキリのように体の色や形を永続的に変えてしまう静的な「擬態」がある。
「擬態」の世界は、奥が深いというか、幅が広いというか、「擬態」そのものの境界自体もあいまいなところがある・・まあ、そのあたりのフィーリングがいかにも「擬態っぽい」のだけど。
例えば、浅い海で活動しているアジなどの魚の体色は青く、深い海に生息しているタイなどの魚の体色が赤いのは、太陽の光の透過率の違いに対応して、それぞれに外から見えにくくなっているのだけど、これを「擬態」と呼ぶのかどうかは定かではない・・サバもタイも、お腹の色が白いのは「保護色」の一種であり、太陽の光に照らされる背中の色と陰になるお腹の色とを変えることにより、海の中では全体として灰色がかって見えにくくなるという仕掛けになっている。
「擬態」で一番不思議なのは、「擬態している」肝心の動物や植物が「擬態の完成度」をどのようにして知ることができるのだろうということである。
カメレオンは周囲の色と自分の体の色とがマッチしているかどうかを自分の眼で確かめることができるだろう、というところまでは容易に理解できるけど・・それにしても、違っていたらどうやって色を変えるのだろう?息を踏ん張るとかするのではないことは確かだろうけど…
視覚情報で体色が自動的に変わるのだとすると、盲目のカメレオンは体色を変えることができるのだろうか?
全体として木の葉の形をした昆虫や、腐食した匂いを放つ草花や、他の蝶とそっくりな動きをする蝶々など、どうやって自分が他のものと似ていると判断するのだろう・・昆虫や植物同士がお互いに見比べたり匂いを嗅ぎながら対話をして「擬態」を向上させているとは到底考えにくい。
トラの縞模様だって「擬態」の一種だと言われているが、外から見えにくい模様に近づいているとか、出来上がったとか、自分自身でどうやって判断するのだろう?
ダーウインの進化論の分かりやすい例として、食餌とする木の実や樹液の違いによって鳥の嘴の形が違っている写真やイラストをよく目にするが、木の実や樹液を獲得しやすくするために嘴を機能的に変化させるプロセスは何となく理解できるが、「擬態のプロセス」はどうも納得ができない。
動物や植物が「擬態していくプロセス」を何処かから離れて観察し、プロセスに修正を加えている「見えない力」が潜んでいるように思えて仕様がない・・「見えない力」を「神」と呼ぼうと、「偉大なる何か」と呼ぼうと、「自然の摂理」と呼ぼうと、各自の自由であるが。
添付した写真は、ハチに「擬態」したハエである。
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