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  エジプトへの目線

自分自身の問題なのだけど、ごくごく最近気づいて愕然とした・・僕の中には「アフリカ」が完璧に欠如していた。

殆ど没頭しているといってもよい、現在進行形のプロジェクトである「大エジプト博物館」はアフリカ大陸の北東の端にあるのだけど、つい最近まで、ユーラシアや地中海や中近東から、エジプトを感じ、エジプトを眺めていた・・ナイル川の源流はアフリカ中部にまで遡るというのに。

いわゆる「エジプト学」は、かのナポレオンのエジプト遠征に始まり、そのお陰でシャンポリオンによって「ロゼッタ・ストーン」が解読され、「本当にそう?」と尋ねてみたくなるほど、古代エジプトの謎が解き明かされた、とされてきたのだけど、どうも全体的にかなり眉唾物かもしれないという疑問が芽生えてきた。

 
「エジプト」という地名そのものがギリシャ語に由来しているように、「エジプト学」全体が、どうもヨーロッパの、しかもたちの悪い「白人至上主義」の流れの中で確立されてきたらしいということが、エジプトについての勉強を進めていくなかで鮮明になってきている。

まあ、そのたぐいの話は、別に「エジプト学」に焦点をあわせなくても、その辺りにごろごろ散在しているけど、「ヨーロッパ主導」でも「白人至上主義」でもなく、僕自身の真っ只中に「アフリカ」が無かったことには言葉を失ってしまった。

地図少年の僕なのだけど、最近独立したアフリカの国名を空でしゃべる事ができない・・「セント何とか」が延々と続くカリブの島々の国々の名前を別にして…

一番卑怯な方法だけど、まず、学校教育の問題を提示しておきたい・・小学校から大学まで、僕らは「アフリカ」を教えてもらわなかった。

「世界四大文明」のひとつとして「エジプト文明」を学習するのだけど、それは「アフリカの一部」ではなくて、「エジプト」という特別な場所だった。

多分僕の個人的な無知だと思うのだけど、僕にとっての「アフリカ」は「全てを失ったアフリカ」であり、少しは勉強して記憶している「ドゴンの神話を残した栄光のサハラ」や「鉄器文明を発達させた中央アフリカの王国」ではなかった。

もう一度「教育」のせいにすると、「明治維新」以降の欧米主導の思想教育のなかで、さらには、日本自身の帝国主義的国家思想のなかで、「アフリカ」は意図的に抹消されてきたのだと思う・・そのことを今頃気づく自分が情けない!!

「大エジプト博物館」を「アフリカの目線」からも構築していきたいと考えている・・結構大変な課題であることは自覚しながら。

添付した写真は「フェイユーンの水車」である。
フェイユーンはカイロから南西に100キロ位の所にある街で、砂漠の中に突如巨大な湖(琵琶湖より大きいかもしれない)が出現する。
海抜がマイナス40メートルであるため、色々な水車を使って、ファラオの時代から灌漑をしてきた。
最古のピラミッドもこの近くにある・・死んだ後も、ファラオ達はフェイユーンの美味しい野菜や果物を食べたかったにちがいない。

(2006/7/12)
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