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  イカ騒動(そうどう)・・イカ素麺(そうめん)ではない

お祭りの屋台で売っている「一匹丸ごとのイカ焼き」をはじめ、子供の頃からあんなに大好物にしてきた「イカ」と、ここ十年くらい格闘を続ける羽目になってしまった。

事の起こりは、1997年の夏のジャカルタである。
当時、毎晩のようにお酒と料理を楽しんでいた、ジャカルタきっての繁華街「ブロックM」にある「日本料理屋」で食べた「ゲソの天麩羅」が曲者だった。

口に入れた瞬間「やばい!」と感じたので、料理屋から五分くらいの所にあるホテルに走るようにして帰り、トイレに飛び込んで、指を口に入れて無理やり吐いたのだけれど、時すでに遅し…

数時間たって、お腹に激痛が起こりはじめ、横になっても、座っても、立っても、痛みは全く治まらず、最終的に「盲腸」を誘発し、翌日の夕方には手術を受ける事態になってしまった。
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その後、約7年間くらいは何事もなく「イカ」を美味しく食べていたので、ジャカルタ事件のことはすっかり忘れ去ってしまっていた・・ところが、

2004年の夏にカラチで、本格的な格闘の幕が切って下ろされようとは、全く予想だにしていなかった。

カラチを代表するホテルの最上階に本格的な日本レストランがあり、人目を避けてこっそりお酒を飲むことを黙認してもらったので、料理は何でもいいかなという感じで、派手なパフォーマンスの「鉄板焼き」を注文したところ、ビーフや野菜に混じって「イカ」が焼かれて出てきた。

もちろん何の疑いもなく美味しく食べたのだけど、約6時間くらいして激痛が始まり、お医者さんを部屋に呼んでもらって、きつーい注射を打ってもらって、何とか一件落着した。

 

2005年の初めに、アンマンで贔屓にしていたイングリッシュパブの名物メニューのひとつが「シーフード・カレー」で、何度か美味しく食べていたのだけど、ある日注文したものは、地中海や紅海が時化ていたのか、何種類もの海産物の組み合わせではなく、殆ど「イカ」だけの「スクイッド・カレー」だった。
その後の顛末については話す必要がないだろう。

たてつづけと言うか、その年の暮れにも、「イカ騒動」が起こってしまった。
当時常宿にしていたカイロのファイブスターホテルに、カイロでも有名なイタ飯屋があり、殆ど毎日のようにスパゲッティを楽しんでいた・・カレーとスパゲッティは僕の大好物なのである。
ある日注文した「シーフード・スパゲッティ」が、アンマンと同じように「スクイッド・スパゲッティ」になってテーブルに出てきた・・またまた、大騒動である。

「アンマンの騒動」までは、「仕事が忙しすぎて、体が疲れていたのだろう」と自分で自分に説明していたのだけど、「カイロの騒動」にはさすがに懲りて、「イカと相性が悪くなってしまったのではないだろうか?」と一応は考え始めた。
が、今年(2006年)の5月中ごろ、今度は東京で接待を受けた折に、神楽坂の何度か行ったことのある上品な割烹で、お通しに「ホタルイカのヌタ」が出されたときには、少なからずひるんだのだけれど、生のホタルイカといったって、親指より小さいくらいだし、たった3匹くらいだから大丈夫だろう、と判断して食べたのが、地獄の始まりだった・・これまでの「騒動」とは桁違いの激痛が、半日以上も経ってから、お腹中を駆け回り、丈夫なだけが取り柄の僕も、「ひょっとすると、激痛で心臓が止まってしまうのではないだろうか?」と本気で考えたほどだった。

「イカ騒動」には完膚なきまでに叩きのめされたので、ここ当分は、ひょっとして一生、「イカ様」を口にするなどという、恐れ多いことは止めておこうと心に決めている。

添付した図版は、ジュール・ベルヌの傑作「海底2万哩」のクライマックス・シーンの一つ、巨大な「イカ」と格闘している場面である・・ネモ船長も「イカ騒動」には手を焼いたらしい。

(2006/5/29)
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