僕たちの惑星系の主星は「太陽」だし、地球は「月」という一つの衛星しか持っていないから、「太陽の運行」に基づく「太陽暦」や、「月の運行」に基づく「太陰暦」が作られ、それぞれに発展していったり、相互に連関してきたことは自然な成り行きだと思うが、事はそう単純ではないような気がする。
「暦」の専門家でもないし、「暦」について特別に深く勉強したわけでもないので、「暦」について真摯に研究されている方々からはお叱りを受けるかもしれないが、僕なりに素直に疑問に感じたことや、こうではないかと見当をつけてみたことを、少し書いてみたい・・というのは、「暦の問題」は、ちょっと見た目よりは遥かに深い関係を人類全体の文化や文明に持っているように思えてならないからである。
太古の狩猟採集時代には、「日の出」と「日の入り」の位置を少しずつ変えていく「太陽」よりも、「新月」や「三日月」や「満月」など、毎日その形をはっきりと変えていく「月の運行」に従って「暦」を作るほうが簡単であったのではないだろうか・・
将軍や大名などの一部の特権階級しか「時計」を持つことができなかった日本においては、おそらく東アジアの各地でも、「月の運行」による「太陰暦」の方が誰にでもわかりやすく受け入れられ、近世まで愛用されてきたのも当然であろう。
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