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  生物の栄枯盛衰 その2

何故、生物はかくも移動したがるのだろう?
しかも、殆どの場合、というよりも常に、大変なリスクをものともせずにである。
「適者生存」という古めかしいダーウインの進化論がまかり通っているからだろうか?

素人目に見ても、危険極まりない、いや、「無鉄砲」とか「破天荒」という言葉のほうがぴったりとくる、冒険なのである・・数十億年前の地球上に生命が誕生した時から、遺伝子の奥深い玉手箱の中に秘められてしまった「暗号」なのだろうか?

「生物の陸上への移動」にしても、水の浮力を利用して手軽に作り上げてきた体格を重力に持ちこたえるように作り変えたり、殻を持った卵という「携帯子宮」を作りだせる目安があったのだろうか?
「両生類」という融通のきくサバイバル・メカニズムも、贔屓目に見ても「結果オーライ」のような気がしてならない。

「人類のマゼラン海峡までの移動」にしても、ベーリング海峡(その頃は『地峡』と呼んだ方が正確かもしれない)の先の全く未知のアメリカ大陸が、長く慣れ親しんだアフリカ大陸やユーラシア大陸より、健康に適した環境や豊富な食料が獲得できるという、神様からの啓示なり約束があったのだろうか?

 

東南アジアの島嶼部に暮らしていた人々にとって、「地球が丸い」ことは肌身で感じとっていた常識だったろうから、最悪の場合でも出発地に戻って来れることは理解できていたとしても、何日かかって帰れるかも見当がつかず、行く先に移住すべき陸地が見つからなかったら、毎日を魚だけ食べて生き延びる覚悟だったのだろうか?
何よりも真水にも不自由するかもしれないというのに、「ポリネシア人の大洋移動」は、どのような正当性をもって決断されたというのだろう?

大地に深く根を下ろすことによって生命を維持している植物にとって、「植物の花粉移動」は、たわわな「実」をつけ、それを鳥に食べさせて「種」を遠くまで運ばせたり、彩り豊かな「花」に昆虫をおびき寄せて、「花粉」を昆虫の体に擦り付けて遠くの花と交配させたり、といった芸当はお手の物だったのかもしれないが、それも「結果オーライ」という感じで、全体の「マスター・メカニズム」を構想したのは一体全体誰だったのだろう?

このような「生物の偏執狂的な移動癖」は、その後も累々と人類に受け継がれている・・

若きアレキサンダー大王は、目の前の大敵・ペルシャ帝国を打ち倒せばそれで目的が達成されたはずなのに、遥かインダス川まで遠征して、帰途あっけなく病死してしまう。

モンゴルのチンギスハーンにしても、遊牧民の社会システムを遥かに越えた版図拡大にのめり込んでしまう・・大きすぎる版図が遊牧社会に殆ど実利をもたらすことは無いことは、充分に分っていたと思うのだけど。

「奥の細道」で俳句の世界を極めた芭蕉にしても、俳句の対象としての東北の魅力もさることながら、「移動しながら俳句を構想する」ことに芭蕉がとりつかれていたのではないか、と思えて仕様が無い。

肝心の僕自身も、世界を移動しながらブログを書いている有様だから、さて、どうしたものだろう?

添付した写真は、僕の大好きな「ポリネシアの航海図」で、ココヤシの葉柄と貝殻でできている。貝殻は島々の位置関係を示し、ココヤシの葉柄は海のうねりの方向を示している。

(2006/1/10)
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