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 鼻毛の謎 その2

鼻毛が出ていると、何故、「間抜け」に見えてしまうのだろう?
頭髪や陰毛を初めとする、他のどの体毛を露出していても、別に「間抜け」には見えないのに・・「だらしない」とか「破廉恥」だということはあっても…

本来は、鼻の穴の中に隠れているべきものが、露出してしまったからだろうか?
口の中に隠れているべき「舌」を出す行為も、あまり好意的な行為としては受け取られないことも万国共通だから、鼻毛もそうなのだろうか・・そう言えば、舌を出してアカンベーをしている「アインシュタインのスナップショット」は超有名だけど、「鼻毛が出ているアインシュタイン」の写真は見たことが無い…

百歩譲って、「本来、隠れているべきものが露出したから、他人に不愉快な思いをさせるからかもしれない」と受容したとしても、「露出した1ミリの鼻毛の効能」には、それだけでは説明しきれない卓抜したものがある。

来世のことは別にして、現世では一度しかないとされている、人生の貴重な時間を割いて、あれやこれやと、とめどもなく思いを巡らせてきた「鼻毛の謎」を、コラージュ風に書き綴ってみたい…

 

人間の顔に鼻毛が出ている構図は、人類にとって「美学的」に許しがたいイメージなのだろうか?
「歯」を極限にまで削り取った縄文時代の頭蓋骨がたくさん出てきたり、清時代の中国では、歩けない程までに足を奇形的に矮小化した「纏足」がもてはやされたり、南アジアでは、首に金属の輪を何枚も重ねて、まるで鶴のような首にした女性や、上唇や下唇に徐々に大きくする木の板を嵌めていって、ペリカンも顔負けの唇にしたりした女性が、もてはやされていたり・・「たった1ミリの露出した鼻毛」など、足元にも及ばない「キッチュな美学」が、人類の文化史では華々しく受容されてきたというのに。

僕の全く知らない歴史的事実として、何処かの凄い英雄や美女が、「たった鼻毛が1ミリ出ていた」だけのために、それまでの栄光や栄華の座を失ってしまい、それ以降、「鼻毛が出る」ことは「タブー」とされた歴史的に決定的なアクシデントがあったのだろうか?

戦争やテロや災害や殺害現場の「写真」や「映像」で、本来見えるべきものではない、骨や肉片が血だらけになって露出されている「光景」に対する、本能的な恐怖感や嫌悪感と共通したものが「1ミリの鼻毛」にも潜んでいるのだろうか?

「人類の進化」の歴史の中で、「鼻毛が出ている」ことで、決定的なハンディを背負い込んでしまったことがあるのだろうか?
「蛇」に対する恐怖心と崇拝心とが、地球上の生物進化史の中での、「爬虫類と哺乳類の葛藤」を鮮やかに思い起こさせてくれるように。

もっと単純に、「鼻毛が出ている」と、風邪をひいたり、悪性の物質を吸い込んだりといった、健康を害してしまうような不愉快な影響があるのだろうか?

といった調子で、疑問に継ぐ疑問が、まるで「鼻毛が出てくる」ようにひきもきらないのである・・この辺りで、「鼻毛を収めておく」ことにする。

添付した図版は、日高敏隆さんの「鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活」という本に関連して、「これこそ実在する『鼻行類』のサンプル」とされたものである。

( 2005/12/25)
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