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  本物と本当 その4

添付した写真は、ピラミッドで有名なギザから程近いサッカラに残っている、建築技師「イムホテプ」がデザインした建物で、今から約4500年以上も前のものとは到底思えないほど、端正な(そして、モダンな)たたずまいを見せている。

サッカラはイムホテプが様々な技術的挑戦を行った場所で、彼の手によるバラエティー豊かな建造物が残されているが、エジプト(そして、世界)最古の「石のモニュメント」として、また後のギザのピラミッドの建造へと繋がる試金石としても貴重な、「階段ピラミッド」で名高く、大勢の観光客で賑わっている。

イムホテプは、その卓越した技術的力量が褒め称えられて、クレオパトラで知られたプトレマイオス朝時代に、歴代のファラオ以外で、唯一「神」として崇められるようになった、いわば「本当」の「建築家の神様」である・・ニックネームの「神様」ではない。

 

別の用件でサッカラに行った際に、急遽、イムホテプの挑戦的建造物群も見学することになったので、自分のデジカメではなく、同行してくれたエジプト学専門家(前エジプト博物館長)の高級な(=複雑な)デジカメを借りて写真を取る羽目になったので、写真のクオリティはひどいものになってしまったが、「本物」と「本当」の話をとりあえず締めくくる素材としては、「これしかない」と考えて、敢えて採用した。

精巧な技術で修復された絵画、ワイヤーで巧妙に繋ぎ合わされた恐竜の骨格、石膏で補いながら全体の形態が出来上がっている古代の壷、近代の技術を駆使して再構築された神殿、これらは普通「本物」と呼ばれているが、お金目当てであれ、原作者に惚れきってであれ、精根を尽くして描かれ、「本物」と殆ど区別もつかないような絵画は、どんなに優れていても「贋物」として扱われてしまう。

古い時代の絵葉書や白黒映画をコンピュータ・グラフィック処理で着色したものや、最初からそのサイズで作られていれば十分に「本物」としての機能を果たすことが出来る機械装置も、オリジナルのものを十分の一に縮小したモデルとなってしまうと「贋物」に貶められてしまう。

「本物」と「贋物」の区別は、それらの仕上がりの程度や機能には係りなく、それらを作ろうとした意図や立場によって決められているらしい。

僕の敬愛する友人の一人である松岡正剛は、かねてから「エディトリアリティ=編集的実在」というコンセプトを提示してきた・・「エディトリアル=編集」と「リアリティ=実在」を組み合わせた、スマートな合成語である。

例え話としてこんな話をしてくれたことがある・・帰宅する途中に燃え盛る「火事の現場」を目の当たりにした時にではなく、家に帰ってテレビのスイッチをつけ、「火事の報道」が、火事の場所や規模、その原因や被害などを伝えるのを眼にした時に初めて、つまり「現実=本当」が「報道=編集」されてから、自体の重大さに気がつくことが多い。

<我々が観察した瞬間に、対象物の「本当」の姿は変わってしまう>という、よく知られた「観察の問題」が素粒子の世界にはあるが、「本物」を観察して、「本当」を認知していくプロセスにも、かなり曖昧な領域が横たわっているのかもしれない。

ソビエト時代に君臨した独裁者スターリンが、粛清した人物を非常に手の込んだ技術でオリジナルの写真から次々に消し去って、新しい「オリジナル=本当」の写真を作り出し、それを「実在の記録=本当」として公表していったエピソードは知る人ぞ知る話である。

(2005/10/6)
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