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  本物と本当 その3

エジプト各地の博物館や遺跡を見て廻っているけど、今は時間が限られているので、ピラミッドやファラオの墓の内部にまで詳細に調べる時間が無く、それらの遺跡は外部からだけ見学している・・「眺めている」といった方が近いかもしれない。

エジプトに行く前から、本やインターネットなどで色々とブラウズしておいたので予備知識はあったのだけど、実際に現場で「本物」を目の当たりにして、色彩が思ったより豊かに残っているのには驚かされた・・彩り豊かに描かれたレリーフやヒエログリフと向き合っていると、これらの建物や彫像が作られた当時の「ざわめき」や「かぐわしさ」が漂ってくるような幻覚に包まれていってしまう。

 

インドネシアのボロブドール、インドのアジャンタ・エローラ、日本の法隆寺など、世界各地に残っている仏教遺跡も、建設当時は豪華絢爛たる色彩に彩られており、まさに、この世のものとは思われない「もう一つの世界=天上世界」を現出していた筈である・・人気のある「ディズニーランド」や「ユニバーサルスタジオ」も、まあ似たようなもので、当時も家族連れや友人やカップル達が、この世のしがらみをひと時忘れて、身も心も、一瞬ではあるにせよ、解き放たれようと望んだのに違いないと、勝手に想像している。

極彩色に塗られていた塗料が剥げ落ち、その後の長い年月とともに風化してしまった下地の素材しか見ることが出来ず、また、当時の仏教の、現在では想像もつかないくらい盛んであった、活動もすっかり衰えて、かっては活動の拠点だった寺院も、ただ見物するだけの静かな観光対象となってしまった・・ツアーガイドの声だけが賑やかに響いているが。

今の状態の「本物」の仏教遺跡に包まれて、「ああ、宗教とは静寂に包まれた精神世界なのだな」と思わず感じ入ってしまう、そのフィーリングやイメージは、はたして「本当」なのだろうか?

何百年、何千年、中近東世界の歴史では何万年、と言う気の遠くなるような時間の経過とともに「本物」は変化していき、それとともに、「本物」が内包していた、あるいは、「本物」を包み込んでいた、「本当」の状況も変化していくのが自然な流れなのだろうけど、僕達はともすれば、現在の「本物」の状態から、時間の経過を一方的に飛び越えて、かっての「本当」の状況は、現在の「本物」の状態の中に存在していたと思い込みがちなのである。

目の前にある、遺跡の構築物や博物館の展示物の中に折りたたまれてきた「時間の物語」にも耳を傾けてみる必要があるのではないだろうか?

確か、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉だったと記憶しているが、「石について語るのではなく、石が語る言葉を聞こうではないか」というテーゼは、「本物」と「本当」との間に横たわっている深い溝に対する深い洞察でもある。

限られた新興宗教を別にすれば、現代社会で最も活動的に、「本物」の宗教と「本当」の信仰が持続しているのは「イスラム教」と「ユダヤ教」であり、ユダヤ教を信奉するイスラエルと、イスラム教を信奉するアラブ諸国とが厳しく対峙して、一歩も譲ろうとしない状況は、「本物」と「本当」の峻別が曖昧になってしまってきている、日本を始めとする、いわゆる先進国家にとっては、不可解であり、さらには、脅威でもあるのかもしれない・・アメリカの衝動的な、一方で非常に功利的な、イラク侵略の鍵はその辺りにあるのかもしれない。

(2005/10/1)
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