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  本物と本当 その2

「大エジプト博物館建設事業」という、仰々しい名前のプロジェクトに係る羽目に陥ってしまったため、この一週間で、カイロにあるエジプト博物館、アスワンにあるヌビア博物館、かっての栄華を誇ったエジプトの古代首都テーベにあるルクソール博物館を、たてつづけに訪問するという、光栄というか過酷というか、貴重な体験をした。

かってのルーブル博物館がそうであったように、エジプト博物館は旧態依然としていて、展示物は桁外れに凄いのだけど、展示手法が情けないくらい陳腐で、まあ、そのためにこそ、新たに「大エジプト博物館」をピラミッドやスフィンクスのあるギザに造ろうという話になっているのだけど・・

 

それに対して、カイロから南へ約670キロ離れたルクソールや、約900キロ離れたアスワンの博物館、とりわけヌビア博物館の展示手法は、もちろんその展示物も含めて、日本の博物館にも類を見ないような素晴らしいもので、ヨルダンの国立博物館建設事業の展示計画に3年以上携わってきた僕としても、感嘆を禁じえないものがあった。

視線を、水平方向だけでなく、垂直方向にも自在に変化させながら、展示物を見せていく手法は冴え渡っていて、ひとつひとつの彫像は日本の「弥勒菩薩」にも劣らないほどの美しさを誇っている。

が、それぞれの彫像は、ミイラについては言うに及ばず、かっての神殿の中で、そのようなレイアウトやショウアップのされ方の中で存在していたはずではなく、神殿の一部として存在していたはずなのである・・つまり、博物館というものはデパートのショーウインドウのようなもので、彫像やその他の美術品も、本来の役割を失って、ただの「見世物」にされてしまっているのである。

このことは、日本の弥勒菩薩やその他の美術品も同じで、かっては密接に係っていた外部世界との連携を立たれてしまっている(動物園の白熊やゴリラと同じである)・・まあ、そのことを、博物館関係者や考古学者や美術評論家は「収蔵した」と言うのだけど、「収蔵した」とは、言葉を変えれば「封印した」と言うことでもある(動物園で言うと「保護した」と言うのかもしれない)。

アスワンに行った際に、アスワンからさらに南へ約280キロ、スーダンとの国境沿い、にある「アブシンベル神殿」にも折角の機会だから訪れてみた・・ご存知かもしれないが、アブシンベル神殿は、数万年に渡って悩まされながらも、その恩恵を受けてきた、ナイル川の毎年の氾濫を調整するために、故ナセル大統領が彼の政治生命をかけて造ったアスワンハイダムとそれに付随するナセル湖(九州の2倍の大きさ)により、水没の危機にあったのを、ユネスコが主導して、ナセル湖の喫水線の上部の丘の中腹に解体・移築したものである。

想像をはるかに超えるような、技術と経費と労力が費やされたであろうことは、現地に行って、外から神殿を仰ぎ見、さらに神殿の内部に入って、その詳細をつぶさに眺めれば、何を語る必要も無く、ひしひしと伝わってくる。

が、さて、そこにある「本物」のアブシンベル神殿は、はたして「本当」のアブシンベル神殿なのだろうか?
アブシンベル神殿は「本物のモノ」として存在しているけど、「本当のココロ」を失わないでいるのだろうか、という問いである。

博物館に飾られている、ファラオやクイーンの「本物」の彫像については、問うまでもない・・これらの彫像は、神殿から切り離して、一つ一つ別々に飾られることを意図して創られた訳ではないからである。

冥界を旅しながら現世への復活を望んだミイラたちが、復活もかなわず情けない姿を晒している状態は、「本物」か「本当」かを問う以前の問題である。

(2005/9/25)
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