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  無用の用 その1

英語で読まれている方々に、少しおまけのサービス:
日本では囲碁と将棋と言う非常にインテリジェンスかつトラディショナルなゲームが普及している。

両方ともインドを根源としていると言うところがなかなか意味深長なのだが、それはさておいて、囲碁はいまや世界中に普及し、将棋はチェスと双子のような関係にあるということで、少しづつだが確実に世界に広がり始めている。

日本では、プロの囲碁打ちや将棋指しは、レアル・マドリッドのベッカムとまではいかないにしても、非常に高い評価と人気がある。

 

ここからが本番:
僕は囲碁や将棋が好きで、囲碁はアマチュアの4段位で少々強い方、将棋はアマチュアの初段位で少しは格好がつく程度。

今は海外の仕事が多すぎて一寸難しくなってしまったけど、かっては、毎日曜日は教育テレビの前で囲碁・将棋三昧だった・・午前10時から正午までが「将棋の時間」、引き続き正午から午後2時までが「囲碁の時間」で、それを見終わると日曜日が終わったような気分にさえなっていた。

囲碁の世界では日本の位置はかなり怪しくなってきているけれど、囲碁においても将棋においても日本は、この数百年世界を牽引してきた・・その鍵は、日本独特の、特に江戸時代に確立された「家元制度」にあった。

10世紀頃に書かれた日本が誇る古典文学のひとつ「源氏物語」にも女官達が囲碁を楽しむ情景が描かれていたり、戦国時代の武将が明日は死ぬかもしれないという状況の中で武運を賭けて、戦陣の中で将棋を指した等々、数多の記録が残っているが、囲碁や将棋を今日のような形で隆盛させたのは、徳川の安定した300年に亘る将軍時代である。

囲碁の「本因坊」や将棋の「名人」を初めとする称号を確立し、その称号のアイデンティティを維持するために「家元」を限定し、家元同士の勝負を毎年正月に将軍の面前で戦わせた・・その戦いに負けて「切腹」したバトラーも少なくない。

サッカーにしても野球にしても、ひょっとしたら芸術や科学でさえも、そのような「規範」が必要なのかもしれない・・一方で、常に発想の自由と豊かさを求めるという自己矛盾がつきまとっているのだが。

日本が誇る伝統芸術の一つである「茶道」も、規範と自在のはざまに揺れ動いてきた・・「俳句」だって、「和歌」だって同じである。

現在の日本では、囲碁や将棋をどの新聞社が主宰するかによって新聞の購買数が上下したり、俵万智の俳句本がベストセラーになったりと、これらの伝統芸術の経済効果が注目を浴びているが、基本的には表の経済効果が見え難いことにこそ、その真価が潜められているのではないだろうか?

(2005/8/30)
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