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  夜は、なぜ暗いのか? その2

ヨルダンの国立博物館の展示計画を作成している時や、もっとくつろいでヨルダンの色んな人たちと話している時に、度々出くわす「インシャ・アッラー(インシャッラーと発音)」に、これだけ長く(全部で6年以上)アラビアに居ても戸惑ってしまう。

「インシャ」は「意思に沿って」、「アッラー」は「神」、まとめて「神の御心のままに」と言う意味であり、そんなに大袈裟でなく、ごく普通に、少々訳が分らない事柄や質問に出会うと、「まあね」とか「さあ?」と言うノリで、ふと口をついて出てくるようなフレーズである。

日常会話の中でこのフレーズを話したり聞いたりするのは、アラブ的雰囲気をうまく醸しだしていて心地よいのだけど、博物館や科学の話をしている時に、このフレーズを口にされると少々戸惑ってしまうのである。

 
以前のブログでも軽く触れたけど、例えば、「枝が折れてしまった樹木が、全体のバランスを保つために新しい枝を伸ばしていく判断はどのようにして決定され実行されていくのだろう」という魅惑的な疑問に対して、「遺伝子に刷り込まれているからだ」「動物と違って植物は全体として脳機能を発揮している」「植物の神秘的生活と言う本があるから、まずそれを読みなさい」などなど、喧々諤々たる議論が繰り広げられていい筈なのだけど、そのまえに「インシャッラー=神の御心のままに」と断定されてしまっては、「ああ、そうですか」と物足りなくうなずくしかない。

近代の哲学・芸術・科学の先駆けとなったルネッサンスの幕を開いた契機となったのが、アラビア、特にアッバース朝が花を咲かせた(蘇らせた)学術世界であることはよく知られている通りである・・「十字軍=フランクの侵略」という、あまり幸福ではない方法で伝播したと言う経歴を持つが、コルドバからバグダッドまでが統一された言語(アラビア語)を持っていたことは、古今東西の皇帝たちが築いた土木インフラ「王の道」に対して、イスラム諸帝国によって構築されたユビキタスな情報ネットワーク「クルアーン(コーラン)」の威力をまざまざと示すものでもある。

まるで、アラビアの学術世界はルネッサンスにバトンタッチをして役目を終えたセカンドランナーのように、その後はサードランナーや続々と現れてくる欧米世界のアンカー達の走りっぷりを、ある時には横目で、ある時には軽蔑の眼差しで、もちろん羨望の眼差しもどこかに秘めて、眺めているだけのようである・・シリアのアレルギー免疫学者ワシム・ムジアクも、彼の置かれている政治的・宗教的立場からすれば無謀とさえ思える、同様の疑義を提示している(http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/308/5727/1416)。

「夜は、なぜ暗いのか?」と尋ねてみる発想の飛翔力に素直に驚嘆した方が良い。
世界の歴史は、このような「発想の飛翔力」を押しつぶすことの繰り返しでもあったのだから・・「魔女裁判」もその一例かもしれない。

(2005/8/26)
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