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 思い込み その4: ネアンデルタール人

今年の始めに「ネアンデルタール人についてのシンポジウム」が開催された。
さまざまな研究発表の中で、出席者の興味深い関心を呼んだ最大のトピックスは、「ホモサピエンスとネアンデルタール人は果たしてやったのだろうか?」(英語では、”Did they do it?”)という設問だった。

ヨーロッパや西アジアの各地で、ネアンデルタールとホモサピエンス(現世の人類)はオーバーラップして存在しており、一般に良く考えられがちな、ネアンデルタールが絶滅してからホモサピエンスが登場したのでもなければ、新しく登場したホモサピエンスが彼らの「優れた」知能を使ってネアンデルタールを撲滅したわけでもないらしい。

ヨルダン川渓谷でも、特に西岸地域で、ネアンデルタールの骨が沢山発見されている。
この地域での、ネアンデルタールの最後の骨は約2万8千年前のもので、一方、ホモサピエンスのこの地域への最初の登場は約10万年前という証拠がある。
つまり、先住者のネアンデルタールと新参者のホモサピエンスは、この狭い谷間に約7万2千年も一緒に暮らしていたことになる。

約2万8千年前のこの地域は旧石器時代に入っており、その頃のものと思われる石器が少なからず見つかっている。

これらの石器は、考古学では通常、ホモサピエンスが作ったものとして取り扱われているが、ネアンデルタールはその製作に一切関与しなかったのだろうか?
そんなに遠くない所で、ホモサピエンス達が便利そうに使っているのを、ただ遠巻きにして眺めているだけで、何の関心も示さなかったのだろうか?
僕にはどうもそうは思えないのだが、ネアンデルタールが石器を作ったという確かな証拠も見つかっていない現在では、想像することはできても、断定することはできない。
また、証拠が見つかったとしたら、考古学や人類文明史は根底から書き換えを迫られる一大事件になるだろう。

 

ヨルダン国立博物館の展示計画では、ひょっとして将来そのような証拠が見つかるかもしれないという可能性(危険性?)に備えて、旧石器時代のコーナーはフレキシブルに変えることができるように配慮している。

アンマンはいくつかの丘の上に発達してきた坂の多い街だが、サンフランシスコなんか目ではない、国立博物館の建設地はそのような谷の一つにあり、この地の歴史感覚からしたら「そんなに遠くない昔」に、この谷でもネアンデルタールとホモサピエンスが出会っていたかもしれない。

ところで、上記の質問の答えだが、先のシンポジウムでの一応の結論は、「多分したかもしれないし、子供も生まれたかもしれないが、孫の顔を見ることは出来なかっただろう」というものである。
ネアンデルタールとホモサピエンスの平均身長の差は、ホモサピエンスがネアンデルタールより頭一つ高い程度で、お互いに十分にセックスアピールを感じることが出来る範囲内の「外見の差」であったかもしれないが、遺伝子の構造に差がありすぎて、妊娠・出産は出来たかもしれないが、生まれてきた子供は不妊性で、子供達同士は彼らの子供を生むことは出来なかった・・つまり最初の親からすれば、孫の顔を見ることは出来なかった…らしい。

ウマとロバの合いの子のラバの類であったということ…らしい。
ちなみに、ネアンデルタールは「優秀な」ホモサピエンスによって全滅させられたのではなく、急激な気候の変動に適応できなくて自滅していったという、平和愛好家が喜びそうな解釈でシンポジウムの幕を閉じている。
いくつもの氷河期を生き抜いてきたネアンデルタールは寒冷気候には強かったが、約2万5千年前頃から始まった地球の温暖化には対応できなかった、というのが「科学的推理」である。

「優勝劣敗」も「思い込み」の一例かもしれない。

(2005/8/5)
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