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 思い込み その1: 旅

かなり以前に一度、雑誌に書いたことがあるけど、イラクで仕事を始めた頃(イラクは二番目のアラビアの国だった)、バグダッド市が用意してくれたオフィスから、毎朝のようにバグダッド市内やその周辺の現地調査に出かけていた。

サッカーも出来るくらいの広大な中庭が正面にひかえている、バグダッド市の迎賓館の一部がオフィスとして提供され、その迎賓館の周囲は住宅街で女子高校が一つだけあった・・それでなくても超魅力的なアラビア女性の、しかも花も盛りの女子高校生たちが午後、バス停で群を成してバスを待っている様は壮観だった!

珍しい日本人を興味深く見つめる、それでなくても大きな瞳の、彼女達からの視線を浴びて、バチバチという視線の音を感じた・・と日本に帰って友人達に話したものだった。

 

で、本題に入る・・

毎朝オフィスから出かける時、門の正面近くの家の入り口の横に、一人の老人が何をするでもなく、じっと座っているのを何時も見かけ、午後遅くになってオフィスに戻ってくる時にも、その老人は朝と同じように、ただじっと座っているのを眼にした。

それが何日も繰り返されると、僕もさすがに、「あの老人は何をしているのだろう?」と考え始めた。
豪華な迎賓館と閑静な住宅街とに挟まれた、さほど大きくもない道は、自動車はおろか人の通りも殆どまばらで、例の登下校時を除けば、シンと静まりかえっている。

見るべき物も動く物も無く、聞こえてくる音も無いのに、あの老人は毎日毎日、朝から夕方まで何をしているのだろう、一体全体、何を見ているのだろうと疑問に感じ始め、とうとうある日、何時も一緒に車で案内してくれる、パートナーのイラク人の役人に、「彼は何を見ているんだ?」と尋ねた。

少しは考え込むのかなと期待していたら、彼はいともあっさりと、「何を聞くんだ?彼は時間を見ているに決まっているではないか」と興味も無さそうに答えただけだった・・会話はそこで途切れてしまった。

「時間を見る」なんて、発想したことすら無かった・・僕にとって「空間が見るものであり、時間は感じるものであった」からだ。
日本で普通に、「僕は時間が見える!」なんて言ったら、変人扱いされるか、よくて「超能力者ね…」とニヤニヤ笑われるのが落ちだろう。

眼から鱗が落ちたのか、変人か超能力者になったのか、どちらか良く分らないが、それからの僕は「時間を見る」というフィーリングが頭の中から離れなくなってしまった・・

そう言えば、4万年以上も前に、今のフィリピンやインドネシア辺りからオーストロマレーシア人たちが木をくりぬいただけのカヌーや粗末な筏に乗って太平洋の荒波を超えて東へ東へと船出し、ポリネシアやミクロネシア、果てはハワイ諸島やイースター島にまで辿り着いたというけど、航海図も無くて、天文学の知識も不充分なのに、どうやって彼らは航海することが出来たのだろう?
あの荒波と、広大無辺な水平線を目の当たりにして、それに向かって漕ぎ出してみようというような、とてつもないというか、荒唐無稽な発想や勇気は何処から湧き出てきたのだろう?

日本でも、数千年以上前の、原始農業でさえ始まったかどうか良く分っていない、縄文時代の中期頃には、東京から遥か南の島々から、当時の装飾品として貴重な扱いを受けた桜貝が本土に運ばれ、本土で産出される黒曜石などと物々交換をした後で、その島々に持ち帰った痕跡が、島々からも本土のいたる所からも発見されているが、青銅器さえ知らなかった当時の人々が、どんな船に乗って、どんな航海技術を駆使して、太平洋の荒波にもまれながら航海を繰り返したのだろう?

航海の技術や天文学の知識などの専門的な詮索とは別に、僕のたどり着いた結論というか仮説は、「彼らは空間を旅したのではなく、時間を旅したのではないだろうか?旅というと、今の僕達は直ぐに地図を探してきたり、空間の隔たりに思いを馳せるけど、彼等は何時ものように星空を見続けながら、時間の隔たりを直感し、時とともに旅を続ければ必ず時間の目的地に到達することを確信したのではないだろうか?」ということであったし、今でもそう思っている。

「旅とは空間を移動すること」というのは、「思い込み」の一例である。

(2005/7/30)
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