[ 前へ ]
[ 後へ ]
 地中海からの眼差し その2: 地中海と中近東

ヨルダンの首都アンマンというと、大方の日本人にとっては「男は白い民族服を着て、女は黒い民族服で黒いベールで顔を覆っている」というイメージしか浮かばないかもしれない。

地方都市や村々では、もちろん比較的保守的だが、ことアンマンに限っては、ファッションは男女とも、その大半がモダンなウエスタン・スタイルで、特に若い女の子は、夏にでもなると「ヘソだしルックのTシャツと、ピチピチのジーンズ」でこれ見よがしに街中を闊歩している。
もちろん、白いベールをお洒落にかぶって比較的おとなしい服装をまとっている女性も少なくはない。
超保守的なアラビア半島からの男の避暑客は、アンマンの若い女の子たちを眺めるのが楽しみなのではないか、とさえ勘ぐってしまいそうになる。

 

ヨルダンやアンマンでも、9割以上がイスラム教徒で、誰もがアラビア語を日常語としているが、気分は半分以上は地中海感覚なのである。
伝統的なヨルダン料理もオリーブ・オイルを多用するし、イタリア料理屋やギリシャ料理屋、さらには地中海のシーフード料理が自慢のレバノン料理屋も軒を連ねているし、地元のワインも結構いける。

イスラム教やアラビア語がこの地を席巻し始めるのは、たかだか7世紀のことで、まだまだ1300年しか経っていない。

それに比べると、フィランティン(現在のパレスチナ人)が地中海を越えてやって来たのは3000年以上も前のことなのに「彼らは比較的新しくこの地に移住した」と言われてしまう始末である。

中近東、特に、シリア・レバノンなどの地中海沿岸やヨルダン・パレスチナなどの地中海近隣のアラブ圏諸国、の文化を把握していくためには、「陸からの視点」だけではなく、「海からの視点=地中海からの眼差し」で歴史的な変遷を観察しないと、片手落ちな評価に陥ってしまう。

「日本は四方を海に囲まれている海洋国家だ」と標榜しながら、日本の歴史教育で最も欠落しているのが、「海からの視点」で日本や世界の歴史を捉え直す(再編集する)という立脚点で、日本・アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカと陸地や大陸単位で世界を分割しながら歴史を編纂し教育し続けていては、いつまでたっても「本当のグローバルな世界観=地球は丸いという発想」が日本人の中に、とりわけ若い世代の中に、生まれて来るはずがない。

インターネットは点から点へのグローバリティにしか過ぎない。
点と点を結んで線にし、線を広げていって面にしていく、つまり地球全体をカバーしていくグローバリティこそが「世界」であり、そこに立脚して初めて「世界平和」のビジョンを描くことができ、それを実現するためのメカニズムを構築することが可能になる。

一度試しに、地中海全体の地図をコピーして、地中海をマーカーで塗ってみたらいい。
フランスとアルジェリアが、イタリアとチュニジアが、イタリアとバルカン諸国が、それぞれに向かい合い、レバノン・シリア・トルコ・ギリシャ・エジプトが深い湾を構成して一体となり、ベニスが地中海世界では奥まった端っこにあることが、一目瞭然で了解できる・・素直な疑問だけど、何であんなに奥まったところにあったベニスが地中海の派遣を握ることができたのだろう?

十字軍戦争(フランク人による侵略戦争)の際に、ドイツ帝国の皇帝であったフリードリッヒ2世が、母がその地の生まれであったということもあり、シチリア島(当時アラブ学問の恵まれた中心地だった)を根拠として、アラブ軍の勇将であるサラディーン(サラフ・ッディーン)と親交を結んで戦争解決に大きな役割を果たしたこと、ナポレオンが生まれ故郷のコルシカ島に「流刑」されたというが、コルシカ島こそ地中海世界の地政学的要衝に位置していること、などがありありと見えてくる。

「中近東=イスラム圏=全てがアラブ世界」という図式だけでは、中近東の歴史や文化を包括的にも具体的にも把握することは全く不可能だし、致命的な誤解を生じてしまう危険性すら孕んでいる。

アラブ女性が世界でも一、二を争うほどの美貌の持ち主で、スタイルも抜群なことは衆目の一致するところだが、開放的でお洒落なカフェで夏の長い夕日に照らされながら、彼女達が明るく楽しそうに女友達や男友達と自由闊達に話しているのを地元産のワインを口にしつつ眺めていると、「ああ、地中海からの風が吹きぬけていく…」と肌で感じてしまう。

ヨーロッパからのアンマン行きの飛行機は、キプロス島を越えるあたりで降下を始め、地中海に面したイスラエル最大の都市、テル・アビブの真上を越える頃には高度3000メートル以下になり、イエルサレムをかすめるようにしながら降下を続け、ほどなくアンマンのクイーン・アリア国際空港に着陸する・・

(2005/7/25)
[ 前へ ]
[ 後へ ]

トップページへ