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 文化の桁 その2: 空間の桁

僕の世代的に言えば、高校時代は受験科目の一つとして「世界史」を選択していたので、「中近東史を含めて、世界史は何とか把握できるだろう」と、結構たかをくくっていた。

ところがどっこい、そんな受験勉強のための歴史知識は何の役にも立たなかった・・正確に言うと、歴史的地理学あるいは歴史的地政学である。

明治維新以降の日本の歴史や地理の教育においては、日本と欧米との時間的かつ空間的な距離(水平関係)や位置(垂直関係)を比較し、確定することが最大の関心事で、それを素早くこなせた人たちが、帝国大学の教授になったり、帝国政府の役人になったりして、日本の「近代化」に「貢献」してきた・・らしい。

 

例えば、極東の日本から対馬海峡や東シナ海越しにユーラシア大陸の西端にある「憧れのヨーロッパ」を眺め見ると、その途中は殆ど省略されて、「月の砂漠」の歌でお馴染みの「シルクロード」しか存在しなくなってくる。

この「シルクロード」感覚は結構やばい落とし穴で、今でも日本の、日本人の、根幹的世界観を支配していると言っても言い過ぎではない・・日本と憧れの地を結ぶ「通路」の話をしているだけで、通路沿いにある数知れない、血まなぐさい「戦いの出来事」や、夢や愛にも満ちた「生きるための出来事」には何の関心も持たない・・これはそのまま現代の日本の外交政策そのものでもある。

「正倉院」の宝物が色んな機会に紹介される度に、この宝物はペルシャや西域のどこかからシルクロードを経てもたらされたもので、遠い昔から日本はユーラシアと交流があったことが強調されるが、日本と海外との交易のネットワークに重きを置きすぎて、日本のアイデンティティを見失いがちになる傾向がある。

少しでも本気で、ユーラシア感覚に思いを馳せることができれば、かってのNHKや喜太郎の「シロクロード」が如何に嘘っぽいものかは見えてくるはずだけど・・現代ヨルダンにおいても、ベドウインの扱いをどのように舵取りしていくか、例えば彼らの「誇りある犯罪」に対してどのように対処していくか、は一歩誤ったら国家自体の崩壊を招きかねない危険性を孕んでいる・・「誇りある犯罪」とは、例えば、未婚の姉妹が妊娠したら、家族の誰か(男)が彼女を殺しても犯罪にならないという、アラビア半島時代からの古い(イスラム教以前からの)掟。

話を戻すと、中近東の歴史を把握するためには、極東の果ての日本からは見えてこなかった、カスピ海や黒海を巡るルートや周辺の地理的状況をダイナミックに、つまり時間軸や空間軸に沿って飲み込んでいく、あるいは手探りで触覚を確かめていく、ことが決定的に必要不可欠だということである。

僕たちが習ってきた歴史は、ヨーロッパ(それも西欧や中欧や東欧などに分解されて)、中近東、アフリカ、アメリカ、インド、中国、日本というように、地理的にセグメントされて教わったけど、それは受験用の歴史としては何らかの役に立つかもしれないが、実際に世界の中で生きていくには何の用もなさない。

鉄器や乗馬を自在に操ったヒッタイト、ユーラシアを震撼させたモンゴル、ボスボラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパの同時支配を目論んだオスマントルコをはじめ、数々のペルシャ王朝やアレクサンダー大王やクレオパトラのドラマは、天山山脈からコーカサス山脈に到る、黄河からチグリス川に到る地理感覚が身につかないと理解しがたいだろう。

かのゲルマン民族の大移動もこの辺りから移動をはじめ、西に移り住んだ連中はローマ帝国を倒した野蛮人として活躍した後、今日に到って「EU = European Union ヨーロッパ連合」を構築しているし、東に移り住んだ連中は南アジアのカースト制のトップの座に君臨して今日に到っている。

アンマンにもウクライナやキリギスタンから出稼ぎに来ている、ネーちゃん(一応「ロシア人」と外国人は呼んでいるけど)が大勢居るけど、彼女達にとってみれば、「黒海やコーカサスをチョッと越えてきた」というフィーリングなのだと思う・・日本に出稼ぎに来ている、台湾や中国の人たちと同じように…

この地域の「空間的な桁」の問題としては「アラビア半島」の存在があるが、これは次の回で包括的に触れることにしよう。

(2005/7/19)
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