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 悪戦苦闘
今年の5月13日に行ったワディ・アルハンメ遺跡の調査について知人達に行った報告を掲載する。

この遺跡はオーストラリアの複数の大学で構成される考古学チームが20年近い歳月をかけて調査してきているもので、近隣の集落に大きな家(通称・ビッグハウス)を建てて、毎年、春と秋にやってきて(夏は40度を超える暑さ、冬は雪も降る氷点下)、僕が難行苦行したワディを毎朝毎夕、上り下りして調査している・・考古学者は原則として遺跡の中ではキャンプをしない。(当然のことかもしれないけど…)

考古学上も世界的に貴重な発掘を行い、オーストラリアに持ち帰って綿密な研究を行ってきているが、彼らは現在建設中の国立博物館に喜んで発掘物を寄贈してくれるという。ヨルダン人考古学者たちの個人レベルでのオーストラリア人考古学者たちとの長い親交がそれを可能にしてくれたのかもしれないが、もう少し違う側面も見えてくる。

というのは、アメリカのシンシナティ大学が一度持ち帰り保存している、ナバティア王国(紀元前6世紀頃から登場し、紀元前63年にローマ帝国によって滅亡・・アラビア語を話す最初の王国としてヨルダンの人々の誇り・映画「インディー・ジョーンズ・最後の聖戦」の舞台となったぺトラがナバティア王国の本拠地)のシンボルとも言うべき巨大な石像群(ヒルバット・アッダリー)を国立博物館に返してくれるという。オーストラリアやアメリカの大学はヨーロッパの博物館とは違った(ニューヨークのメトロポリタン博物館は別にして)考え方や態度を提示し始めているのではないだろうか?

この2例を持って結論を下すのは全く早計であることは承知の上で、このような動きを心から歓迎したい・・国立博物館の展示作成に携わっているものの身贔屓かもしれないが。

国立博物館で等身大(一分の一)のカットモデル(部分的再築)作成を予定している遺跡は全て現地を訪れ、現場の空気を吸い、周囲の風景を眼にすることにしているのですが、先日もヨルダン北部のヨルダン渓谷から近いところにある後期旧石器時代の住居遺跡(世界でも最も古く定住が始まった場所=原始的農業が開始された地域の一つで、約2万年近くにもなる)「ワディ・アルハンメ」に行ってきました・・今回の一連の遺跡調査の一応の区切りで、国立博物館でも住居遺跡を復元して展示する予定です。

今までヨルダン中の遺跡(約40ヶ所)を調査して回わりましたけど、どんなにひどい場所でも四輪駆動車から降りて数十分歩けば何とかたどり着けました・・何時も一緒に遺跡を回り、散々講義を受けながら石器や土器の破片をいともたやすく見つけて「ハイ!ナンバ」と渡してくれた(素人の僕だと周辺の石や土のかけらと、器の区別が殆どつきません)若手考古学者のジハッド(32才・国立博物館の優秀なパートナー)も道が分からないと言うので、地元の考古学者に案内してもらい、悪路を揺られて数十分、四駆から降りて草道を少々歩いて、案内の人が、遥か向こう丘を指差しながらジハッドにアラビア語で説明を始めました・・考古学用語は英語なので全部僕にも分かるので、「ひょっとしてこれはかなりやばいんじゃないか」と思い始めたけど、時すでに遅し。

ジハッドが「さあ、ナンバ、一緒に行こう!」と事も無げに、棘だらけの雑草と岩や瓦礫がゴロゴロしている崖地を降り始めました・・ジハッドは新品の靴だけど、僕のは本当は3ヶ月前に捨てようかと思っていたソフトシューズなので、靴底はスケートのようにピカピカ・・滑るなんてものじゃない、そばの草につかまろうと思っても棘だらけだし(もちろん手袋は用意していません)、適当な石を見つけて捉まろうとすると谷底にゴロゴロ落ちていくし、「地獄の入り口」とはこんなんだろうなと、もう他人事のように諦めるしかありませんでした。

100メートル近い、角度にすると70度位の崖地をやっとのことで降りて、ワディ(雨期だけ水が流れる乾燥地特有の河)の底にたどり着き、もう一度対岸100メートルを登り直して「やっと着いた」と天国気分に浸りかけたら、ジハッド(聖戦という有名なアラビア語)が「ナンバ、もう一つワディを越えなければ!」とまた、笑いながら言うので、何とかを食らわば何とかまで、と言う日本語を思い出しながら、もう腹をくくるしかありませんでした。

やっと遺跡のある丘に着いたころには息は切れるし、汗はびっしょりでサングラスも曇ってくるし、遺跡を見ても「後期旧石器人は何でこんな猛烈な丘のてっぺんに住もうなんて思いついたのだろう?」程度の疑問しか浮かばないのですけど、眺めは言葉で表せないほど「絶景」・・遠くに緑豊かなヨルダン渓谷が見え、近くの丘も遠くから眺めれば(つまり歩いて降りたり上ろうとしたりといった、奇想天外なことを考えない限り)静寂感の中で威厳があって素晴らしいのです。

と感歎しつつも、頭の中は「また、あの崖を二度ほど降りて上って、降りて上らなければならないのか!」と暗澹たる気持ちで一杯になりそうになってきます・・ジハッドに「タクシーを呼ぼうよ!」といったら、「東京なら来るかもしれないけど、ここではどうかなノ」と大笑いしているだけです。

というわけで、数度本当に死ぬかという思いをしながら(足を滑らせたら一発!ですからねノ)、調査を終えました・・でも、最高の体験でした。
これからヨルダンの考古学者に会ったら最初に「あなたはワディ・アルハンメを自分の足で踏みしめたことがありますか?」と尋ね、相手が「ノー」といったら、それ以上どんな高邁な理屈でも一切耳を貸さない、とジハッドに話したら腹を抱えて笑っていました。

ジハッドが左端に写っている一枚、近くの渓谷の眺めが一枚(このような渓谷を上り下りしたわけです)、遠くのヨルダン渓谷の眺めが一枚、住居跡を吟味している難波博士の一枚(頭の中は帰りの難行のことで一杯)、最後の最後の崖を上っている難波修行僧の一枚・・計5枚の写真を添付するので、笑ってやってください。

これより二週間前の青銅器時代の真っ黒な玄武岩の都市国家「ジャワ」(ヨルダンの北東部でシリアとの国境の赤い砂漠のど真ん中)が「静」の極上体験だとすると、「ワディ・アルハンメ」は「動」の過酷体験でした・・でも、遺跡は静寂そのもので、風も涼しく、アンマンに帰ってきてからもじわじわと蘇ってきた。

 

(2005/7/12)

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